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投資を成功させるには、数多くの独立した要素に、同時に思慮深く注意を向ける必要がある。
哲学というものは、長い時間をかけて、さまざまな情報をもとに蓄積した数多くのアイデアの集大成でなければならない。
経験は、望んでいたものが手に入らなかった時に得られる。
今日、心に留めておくべき要点の一つは、経済学が純然たる科学ではないということだ。
科学においては、管理された環境で実験が行われ、過去の経験が信頼性を持って再現され、因果関係が確立されうる。
これらの点を考慮すれば、経済学を科学と呼ぶこと自体、あまりふさわしくないのかもしれない。
投資は科学であるのと少なくとも同程度にアートでもある。
必要なのは、より鋭敏な思考である。私はこれを二次的思考と呼んでいる。
投資の目標は平均的なリターンを得ることではない。
平均を上回るリターンをあげることだ。
効率的とは「動きが迅速で、即座に情報を織り込む」
という意味であって、「正しい」という意味ではない。
ほとんどの人は強欲、恐怖、嫉妬などの感情に突き動かされて客観性を失い、重大な過ちを犯す傾向がある。
完全に効率的、あるいは完全に非効率的な市場は存在しない。
非効率性は素晴らしい投資パフォーマンスの必要条件である。
どんな時でも、すばらしい掘り出し物の多くは、他の投資家が気付いていない、あるいは今後も気づくことのないところでみつかる。
結局のところ、重要なのはバランス感覚であり、それは経験から得た常識を生かすことで身につく。
市場の効率性という概念には妥当性があるから、どちらかというと非効率的な市場、
つまり努力とスキルが一番報われるであろう場所に的を絞るべきだ。
我々は理論をあくまでも決断の手がかりとすべきであり、
理論そのものに支配されてはならない。
投資で成功するには、まず最初に本質的価値を正確に推計することが不可欠だ。
さもなければ、投資家として成功し続けるという夢は、夢のままで終わってしまう。
最も古くからある投資の原則は、最もシンプルでもある。
「安く買って、高く売れ」。眩いほどに明瞭だ。
「高い」、「安い」という言葉については、何らかの客観的な基準が必要であり、最も実用的な基準はその資産の本質的価値といえる。
そうすると、この原則の意味は明確になる。
「本質的価値を下回る価格で買い、上回る価格で売れ」だ。
投資家には二つの基本的な選択肢がある。
その株式に潜む本質的価値を推計し、そこから株価が乖離した場合に売買する方法と、将来の株価動向の見通しのみに基づいて投資の判断を下す方法だ。
証券の現在の本質的価値を推計し、価格がこれを下回った時に買うのがバリュー投資家で、将来、価値が急増する証券を見つけ出そうとするのがグロース投資家である。
重視するのはドラマチックさよりも安定性だ。
投資の世界では、何かが正しかったとしても、必ずしもそれがすぐに証明されるわけではない。
本質的価値を正確に推計することは、感情に流されない着実な投資、利益を生み出す可能性の高い投資に不可欠な土台だ。
投資を一言で言い表すとすれば、「未来に対処すること」である。
「リスク」とは何よりもまず、資金を失う可能性のことである。
周りと違うことをする勇気のあるものは、型破りな投資を行って利益を上げるチャンスを得るのだ。
未来に起こりうるリスクのほとんどは主観的で、見えにくく、定量化できないのである。
リスクを評価できるのは、経験豊富で洗練された、二次的思考ができる者だけである。
人はいつも未来が過去と同じようになると見込み、変化が生じる可能性を軽視するのだ。
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